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別居親の視点

 親が離婚したとき、どれだけの子どもたちが双方の親と関係を保っていけるでしょうか。

同居親が子どもたちに選ばせたのは、「パパかママか」でしたか。それとも「どちらか一方か、両方か」でしたか。

 私たちは自分の得た情報によって世界観を作り、良いにしろ悪いにしろ、思考のフレーム(価値観・先入観・固定観念)を作っています。

子どもたちは、別居親とも思い出を作ることができましたか。別居親とも心を通わせることができましたか。別居親からも話を聞き心を感じ愛情を受けられましたか。

 もし、できなかったのなら、それはなぜですか。別居親がそうしようとしなかったからですか。それとも、同居親が妨害したからですか。

 同居親が妨害したのなら、なぜそうする必要があったのですか。なぜそんなことが許されたのですか。同居親が理由を列挙するならばそれは本当ですか。それは何年にもわたり親子を引き裂き、子どもたちから片親を奪い、親子の絆にくさびを打ち込み、子どもに別居親に対する不信や無関心をうえつけるという野蛮で残酷な支配と管理の合理的理由ですか。

 「子どもを巻き込むな」「子どもの意見を尊重しろ」「子どものことを考えろ」その言葉は、子どもと親を引き離し、別居親との思い出も絆も破壊し、自分の思い通りに子どもを操ろうとする同居親にこそ掛けられる言葉ではないでしょうか。

 別居親として見てきた世界は、真実や正義で決まるのではなく、「権力を握った人間が都合よく決めた『事実』」や「権力を握った人間が独りよがりで決めた『善悪』」がふりかざされて支配が進むようにできている世界でした。野蛮な支配を目論む人間や無責任に金儲けや権威の維持に固執する人間が、人の心や絆を弄び、醜い世界を形にしていくさまを見て、とても辛い人生でした。

 日本には、同居親が独善的な物語を作り上げ、法曹界がお墨付きを与え、子どもたちに別居親に対する排除と無関心を植え付ける洗脳を施す仕組みがあります。日本の単独親権制度に簡単に合わせられるように、別居親をスケープゴートにして、同居親と法曹界が一体となって別居親と子どもたちの絆を蹂躙し、それを「子どもの安定」や「子どもの意見の尊重」などとごまかすことがまかり通っています。

 「別居親は排除されて当然」「別居親は自分とは違う世界の人間」「別居親は自分のことを愛していない」「別居親は子どもたちのことを何も考えていない」・・・同居親の管理のもとで、自分の片方の親のことをそのように考えなければつじつまが合わない人生にされてしまう子どもたちもいます。

 傲慢な嘘と野蛮な企みに踏みにじられて蔑ろ(ないがしろ)にされてきた親子の絆は、自然には戻りません。

 人間は自分の得た情報によって世界観を作り、良いにしろ悪いにしろ、思考のフレーム(価値観・先入観・固定観念)を作っている・・・。だから、別居親に対して悪意を持った同居親からの情報だけでは、子どもたちは人生の真実も別居親からの愛情も理解できません。

 別居親を突き放している子どもたちや、別居親を親として差別する人には、真実と実態を知ってほしいと思います。